木々の声を聴く 2016年5月

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大自然の中では季節の変わり目もより顕著に感じられるようです。
 
この冬は積雪量がとても少なかったので、工房の周りの雪は例年より早い4月の中頃ですっかり解けてなくなりました 。
雪が消えていき大地が見えるようになると、ほうぼうで越冬していた夏鳥たちが続々と戻ってきました。
冬の間はビュービューヒューヒューという風の音が中心ですが、それが鳥たちの楽しげな歌声に変わると春の訪れを感じます。
あちこちで縄張りをアピールしたり、パートナーを誘ったりでとても賑やか。

春先一番のこの時期には「ホー、ホケキョ」の中に随分調子っぱずれなものが混ざります。
ウグイスの若鳥は音程を上手くとって鳴く事が出来ないものが多く、先輩を真似ながら練習します。 しばらくするとみんな上手くなり、夏の間、山からはエンドレスなこだまのように歌声が響き続けるようになります。
その内、「下手で何が悪い」と最初の歌い方を貫いたり、8ビートで「ホケキョ!ホケキョ!」とシャウトする奴が出てこないかなぁと期待しているのですが、なかなかRockな魂を持ったウグイスは現れてくれません。


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工房の周りにちょくちょく姿を見せるキタキツネは子育ての季節です。
キタキツネは3月後半から今時分にかけて3〜7匹ほどの子を出産し、夏の間、大切に育てます。
母狐だけで育てる事が多いようですが、カップルで育てたり、親戚が集まって育てる事もあるらしく、詳しい生態はまだよく分からないようです。
子供たちは生後3ヶ月ほどで狩りの訓練を始めます。訓練期間はふた月足らず。
ひとり立ちできると判断するやいなや、親は子供を巣穴から追い出します。
突然の事に戸惑い、怯えながらも子狐は巣穴に戻ろうとしますが、親は決してそれを許さない。
何度も噛みつき、自分の世界に進ませます。最終的に子は諦め、己の道を歩き始めます。
初秋になるとキタキツネの悲壮な鳴き声が聞こえてくることがあります。
巣に戻りたいと哀願しているのだろうかと思うとその声はとても切なく聞こえますが、同時に母狐の厳しくも深い愛情も感じます。
その彼らの行動を見ていると自由というものの本質を再認識させられます。


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中学生になってしばらくすると大抵の人が自分の中の変化に気付きます。
母に噛まれた上で観念し、一人で歩こうと決心したキツネと同じ頃であると言えると思います。
本能的に「自分の力で生きなければ」と感じる。
教わる時期から挑戦の時代へ。

実際、事を成す為には2つの選択肢があります。
誰かに指導してもらって行動するか、失敗覚悟で試行錯誤しながら自分の力で解決策を探るかのどちらか。
子供の頃は経験による判断材料がないので自分だけの意思で生きようとすれば待つのは「死」です。
百獣の王であってもライオンの赤ん坊がサバンナの草原を悠々と歩けば、瞬く間に誰かの胃の中です。
子供の時代は親に見守られながら生きていく為の様々な技術を学んでいく。
期間の違いはあれ、ライオンでもキツネでも人間でも。どんな動物でも同じ事。
本能はこの学ぶ時代の終了を突然宣言してくるので大きく戸惑いますが、ほとんど瞬間的に子供は大人へと変化し、自由を求めるようになる。


僕は中学校を卒業する時、就職するか高校へ行くかで迷いました。
就職を考えたのは、家庭環境の問題でなく、自由に生きるにはまず自活する必要があると感じたからです。
この事を口にすると、親はとやかく言いませんでしたが、あちこちの大人のベテランから反対されました。
「いますぐどうしてもやりたい仕事はあるのか?」「高校に行きたくない特別な理由はあるのか?」
この問いに対しての答えは「特ににない」。
その上、勉強する目的も分からない。
働きたい訳でもないけどやるべき事がないならとりあえずそれしかないの「ないない」づくし。
大人になりたてホヤホヤの未熟者の頭の中は何の整理も出来ておらず、散らかっている中にたった一つだけあった「自由」という課題は明確でなく曖昧な存在で、捉える事が出来なかった。


何となくでしかない「自分の力で生きたい」という思いは、自活する事への不安にのみ込まれ、結局、安全な方向を選び、高校へ行くことにしました。
折角、自由の入り口に一度立ったのに、生後5ヶ月のキツネほどの度胸もなかったのです。
近所の公立高校に行きましたが、先輩後輩的な縦の感じが嫌で部活には目もくれず、学校をサボってはパチンコ、麻雀、遊ぶ金の為のバイトの生温い毎日。
心の中には常にモヤモヤとイライラが溢れていて、それが無責任な自分に対する失望である事に本当は気付いているのだけど、見えないようにする為に単車のスピードを上げる事でごまかして。
この時に出会った人もいるので得たものがゼロとは言わないまでも、自由と気ままを見事にはき違え、貴重なモラトリアムの期間を無駄にしてしまいました。
「人が勧めてくれる安全や安定の方向へ行くと新しさが全くなく面白くない。面倒でも自分の道は自分で見つけなければ」
3年も使って得たのはたったこれだけでした。

高校を卒業するとすぐにオーストラリアに向かいました。
自分の怠慢は綺麗に棚に上げて、「日本はつまらん、違う世界を見てみたい」と思ったのです。
あまりお金を用意していなかったので、滞在した1年間の内の多くの時間を色々なアルバイトに費やさなければなりませんでしたが、それはそれでいい経験になりました。

中でも、3ヶ月弱程働かせてもらった羊の農場での経験はとても大きなものとなりました。
広い広い牧草地の景色。 道は公道、私道、すべてダート道。 お隣さんは数キロ先で、舗装道路に出るまでに30km、最寄りのデリカテッセンまで50km、スーパーマーケットまで120kmというロケーションです。
家の前のユーカリの樹の上でコアラが眠そうにしていたり、その向こうではカンガルー、ワラビーが駆けている。
ハリモグラが道をのろのろ歩いていたり、ポッサムが樹の上から自家菜園の食べ物を狙い、その周りで沢山の鳥たちが歌っていました。
一噛みされればポックリいってしまう黒くて長い毒ヘビ、刺されても死なないけどそれなりに痛い(農場のボスの表現はこんな軽い感じだったけど、きっとかなり痛い)サソリや毒グモなどおっかない連中もいました。

夜空は圧巻。
一か所を眺めていると奥から奥から星が湧き出てくる。
怖く感じる程の奥行き感。 天の川は大河でした。
あんな美しい星空はあの時以来見た事がありません。

家族経営のこの農場には僕より1つ年上の息子がいました。
彼の名はブレントン。 この農場では6000頭ほどの羊を飼っていましたが、主に彼がそれを管理し、養蜂もやっていたのでボスがそちらを担当していました。
ブレントンはたまにボスにアドバイスを求めていましたが、ほとんどの仕事を自分でこなしていました。
餌の管理はもちろん、病気にかかっている羊を見つけると感染が広がらないように対処する。
トラクターの調子が悪くなれば牧草地の真ん中でもバラして修理し始めます。
とても陽気な彼は「あれやっておいて、これやっておいて。」と上手く僕に指示を出しながら、口からは冗談ばかり言いながらも次から次へと仕事をこなしていました。
たった一つの歳の差なのに、生活するための力量の差はとても大きく、愕然とする事や情けなさを感じる事が何度もありました。
農場に着いて初日の話です。
着いて自己紹介をすますとボスから「羊を囲うフェンスで傷んでいる所があるからブレントンと一緒に行って直してきて。」と初仕事を頼まれました。
ピックアップトラックに乗り込み、ブレントンは農場の中を案内してくれながら修理箇所へと車を走らせます。
「あっ。」と何かを見つけた彼はトラックを急停止。
「グアナ見た事ある?」
「グアナってなに?」と僕。
「あいつ。」と指差す方向を見れば体長50cm程の恐竜みたいなトカゲ。
「あー!イグアナ?」
「違う。グアナ。」
似ているけど違うらしい。

トラックが急停車したからビックリしたのかグアナはじっと固まっている。
動いている所を僕に見せてやろうとブレントンはダッシュボード上から何かを掴み、グアナに向かって投げはじめた。
何気なくダッシュボードへと目をやってギョッとした。
「ちょっとちょっと、それ、なに投げてるの?」
上手くグアナに当たらないので運転席から身をのりだして投げ続ける彼は背中を向けたまま答えた。
「うん?ライフルの弾」
「え?」
「ん??」
意思がかみ合わず沈黙。
「ライフルとかあるの?」
「もちろん。」と背もたれの後ろに手を突っ込み、ゴソゴソしてから引き出された手には銃が握られていた。
唖然とする僕の様子に「銃を見た事ないの?そんな奴いるんだ!」と驚くブレントン。
「ない!初めて!」と驚かれることに驚く僕。

お互いの育った環境の違いにビックリしながら大笑い。
「撃ってみれば。」と弾を詰めて手渡される。
ちょっと緊張しながら撃った初めてのライフルは思いのほか衝撃が少なかった。
察した彼は「これはカンガルー用に使っている銃で、弾が小さいから衝撃がないんだ。カンガルーは体のどこかに当たればショックで倒れるからこの弾で充分。
ウチに帰ったらショットガンやデカい弾のライフルもあるから撃たしてやるよ。
人には言うなよ、本当はライセンスがいるからな。」とニコニコしている。
「カンガルーとか撃つんや?」の質問に、
「夜の放牧地に羊の餌の飼料を食べにやってくるから、駆除が許可されてるんだ。そして食料にもする。ウチで食べる肉はほとんど羊かカンガルーのどちらかだから。
ハンティングはほぼ毎日行く、仕事だから。俺とお前のな。」

その日から夕食後には放牧地に戻り、カンガルーを探しながらトラックを流す日々が始まりました。
カンガルーは昼間に走っている姿も見かけますが基本、夜行性。
夜の放牧地には想像していたよりも多数のカンガルーがいて驚きました。
初日の僕の担当はスポットライト係。
カンガルーは強い光をあてられると、警戒心の為でしょうか、習性でこちらをじっと見つめたまま動かなくなります。
停止した状態に対して撃つので、狙いやすい。
小さな口径の銃を使うのにはこの理由も大きくあると思います。

「あっ、あいつデカい!スポットライト!!」

慌ててスポットライトを向ける僕。
ブレントンは仕留めるとナイフを持って倒れたカンガルーに向かい、すぐに血抜きをして、腹を裂き内臓を出した後、「これ、3日後の晩飯ね。」とトラックに積み込みました。
次の晩もその次の日も僕はスポットライトと積み込みの補助役で、この流れで毎晩続くんだろうなと感じました。
しかし、初日に自分たちが獲ったカンガルーを食べた夜、牧草地に向かうトラックの中でブレントンは訊ねてきました。
「今晩はお前が撃ってみるか?」と。
正直な所、自分の手で動物を殺す事に対してためらう気持ちがあったので、答えがすぐ出せずに口ごもってしまった。
「無理にやれとは言わない。でもここではこれが生活だし、どこにいても肉を食べるのであれば当たり前の話。」と怒っている風でもなく、説得する風でもなく、でもいつもの彼より少し静かなトーンで言いました。

僕は「やる。やらせてくれ。」と頼み、銃を受け取りました。
頭の中では整理がついたと思っていたけど引き金にかけた指先は少し震えていた事を覚えています。
弾がカンガルーに当たった事を確認するとブレントンは特別何も言わず、いつもと同じように捌き、トラックに積み込んでから言いました「OK、帰ろう。」

車に乗り込むと相変わらずのバカ話をはじめる彼でしたが「当たり前の事をやっただけだから、特に言う事はない。」という決して上からではなく同じ目線で対応してくれた事に大きく感謝しました。
自分の判断で「行く」と決めた上でのこの1年間の滞在は、ものの捉え方を大きく変化させてくれました。
それまで「何もない」と感じていたのはただ自分が目を開けようとしていなかっただけで、少し周りを見渡せば、やらなければならないことは山ほどあって。
目の前にある当たり前の事も、その中身をきちんと理解する為には知識と経験の両方が必要だという事。
多くの課題の存在に気付いた途端、それまで気が遠くなりそうな程ゆっくりとしか回らなかった時計の針の動きが急速に早くなり始めました。
何事にも前向きに取り組み始めると、以前に持っていたモヤモヤイライラした感じは随分と減っていきました。
ただ、それがすっきり消えてなくならない事に対しての疑問が新たに現れました。

日本に帰ってきてからは、高校生の頃から好きだったスキーがしたくてスキー場で働きました。
1年ずつ違うスキー場で2シーズン。
後半の1年は半年日本で働いて、そのお金で4ヶ月ほどニュージーランドに行って滑るというほとんどスキーのみの生活でした。
この期間は人との出会いにも恵まれ、とても楽しい時間を過ごしましたが、心の中のモヤモヤが消えていく事はありませんでした。
違和感を取り除きたいという思いと、スキー場の直属の上司と人間的に上手く噛み合わなかったという2つの理由で、地元の甲子園に戻る事にしました。
地元に戻ると建築業の中で働き始めました。
実家が工務店だったので、小さな頃から現場によく手伝いに行っていたこともあり、親方連中に知り合いが多かったので、地元に戻ったことを聞くと「働きに来い」と仕事への誘いがいくつかやってきました。
決まった会社に所属するのではなく、その時その時でいろんな所で働かせもらいながら取り組んでいるとモノ作りは思いの外楽しく、特に木材の魅力に惹かれていきました。
数年経って少し仕事が出来るようになると、一般的に作られている住宅の現状に疑問が湧き出るようになりました。
木造なのに集成材とベニヤとビニールばかりで木材の魅力を全然活かせてないのです。
一方でふんだんに良材を使っていても寺社仏閣などには全く魅力を感じませんでした。
素材は素晴らしく技術も高いのですが、やっている事は過去の踏襲がほとんどで、そこからは現在や未来の姿が全然見えず、面白くないのです。
建築の雑誌などを見ていると海外の住宅は古い建物でも改装しながら新しい物を取り入れていてとても魅力的に見えました。
建物とインテリアの調和もとても美しく、この頃に家具にも興味を持つようになりました。
あちこち渡り歩きの大工は現場の区切りがくれば休みを取るのも容易で、「ちょっとひと月ほど休むでー。」と宣言しては、北欧や北米の住宅や家具を見て回りました。
海外は美術館の数も多い上に入館料もとても安かったので見て回り、芸術からも大きな刺激をもらいました。
自分でももっと面白いモノが作れるのではないかと考えましたが、雇われの身ではなかなか事が進みそうもありません。 チャンスを広げていくのには新たなステップに挑戦するのが近道そうなので、知識も経験も不足気味なのは分かっていましたが、小さな仕事でも出来る事から自分で請けていく事にしました。

自分で仕事を始めると「責任」の存在が想像していたより重たくのしかかってくるのを感じました。
お客さんに満足してもらう事、設備投資や職人、業者へのお金の事。
そして何より初めに求めた「面白い」と感じるモノを考え出す事の困難さ。
当たり障りのない感じにはまとめる事が出来ても、それでは自分で仕事をしているという意味を失ってしまうし、責任ある仕事とは言えない。
自由に考えだすという事は簡単そうで非常に難しい。
取り組んでみて初めて気づきました。 そしてもう一つ気づいた事。
「責任」を果たそうとすると苦悩を背負い込まなければなりませんが、その代わりに心の中のモヤモヤした感じが消えていきました。
苦悩の荷を軽くしようとすればまたモヤモヤは戻ってきました。
素材についての知識を深める事、良材を買い付けるという二つの理由で製材所や銘木市場にしょっちゅう通いました。
そこでは相当な量の材木を見ながら、樹種やそれぞれの材の個性や良し悪しを比較する事が出来ました。
大工として働いているだけでは分かりにくい木材のくせや林業の現状、システムについても教えてもらう事が出来ました。
木についての理解が深まってくると、なんとかそれらを有効的に使って物に仕上げていきたいと望むようになりました。

しかし、不景気の状況のなか、建築ではリフォームでも相当のコストが掛かりますので「出来るだけ安くして欲しい」という要望がほとんど。
安価な建材で作られた住宅が一般的になってしまっており、将来的に自分の考える「責任」を果たしていけないのではないかと感じていました。
もっと自由にカタチを作り出したい。
もっときちんと素材に向き合いたい。
その気持ちは日々大きくなっていましたので、作るモノを住宅から家具へと変更する事にし、地元を離れ北海道へと向かいました。
それから8年経って、今になります。
沢山の方が支えてくれたおかげで、なんとかやってくることができました。

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ぐちゃぐちゃだった頭の中は、少しずつ整理整頓をしてきて随分と片付いてきたように思います。
大人になって最初に求めた「自由」の存在も随分と明確になってきました。

選択は自分で行う事。 その選択に対して全責任を負う事。
そして、決して他人の自由を妨害しない事。

全ての人がそれぞれで道を選んでいくので自由はひとつの形を持ちません。
一人一人少しずつ違っていて、それが個性です。
自分の選択は間違ってしまう事もあります。
しかし、その間違いも自分で回収できる範囲内で行動していれば過度に他人に迷惑をかける事はなくなります。
決断を他人に任せ、徒党を組んで進んだ場合、選択が間違えていたと気付いた時にはもう取り返しのつかない状態であることが多い。
戦争がいい例です。
失敗を減らすにはあらゆる事において積極的に知識を増やしていかなければなりません。
知識がなければ選択する事は不可能で、他人の意見に委ねなければならなくなります。
他人の決断に依存すればするだけ自由は輝きを失っていく。
慣習であるという理由だけで思慮なく慣習にしたがったりする事も自由を放棄している態度だと言えます。
経験の豊かな者が経験の浅い者に強制して道を選ばせるのも自由を奪う行為です。
たとえそれが好意であっても。 経験豊かな者が出来るのは彼の行こうとしている方向を指し示す事のみです。
経験の浅い者は経験豊かな者に盲目的に従ってはならない。
指された方向は参考材料であって、進路は自分で決めなければならない。
自分の国や地域を経済的に豊かにする事が第一で、その輪を広げていけば世界が幸福で満ちるという考え方があちらこちらに見えますが、明らかに幻想です。

今、70億人が先進国と同様の生活を始めれば地球の資源は10年もすれば枯渇します。
2050年の世界人口は100億人になるとされているにもかかわらず、先進国はまだ満足せずにさらなる富を求めています。
富への欲望が続く限り、貧しい地域への労働力搾取が終わる事はないでしょう。
搾取は彼らの選択肢、すなわち自由を奪っています。

サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と言っていましたが、その通りだと思います。
洞察力を高め、倫理観を深める為に観念を磨き続けなければならばない自由の道は決して楽ではありませんが、自らの選択によって生まれる成果は時々に大きな喜びを呼び込んでくれるはずです。
道徳心の共振から生まれる笑顔が増えれば、世界は質素であっても格段に住みやすい場所へと変わってくれると思います。
もうすぐすると工房の周りにも桜が咲き始め、木々の新芽も芽吹き、色彩豊かになります。

春の柔らかな空気の中、自分に出来る事に全力で取り組みながら、自由の道を少しでも色鮮やかにしていけるよう、しっかり前を向いて進んでいきたいと思います。
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 pat woodworking 岡田通人 profile 

兵庫県西宮市で建築業に携わった後、pat woodworkingとして家具制作業にシフト。 大自然の広がる北海道黒松内町に工房を構え、たった一人で作業に取り組んでおられます。 
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